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進化論と創造論との狭間で

夏休みになると、NHK第一で、「夏休み子ども相談」という番組が放送されます。出勤途中に聞いていたのですが、多くの子どもたちは、虫、動物の生態や、地球、宇宙の仕組みにとても関心があるようでした。その中の一人の子が、”どうして、生き物には、たくさんの種類があるのですか?”という質問をしました。その回答に、女性のおそらく生物学者の方でしょうか、”実は、私も、そのことが理由で、研究者になりました。”との返答、そして、何故これほど多くの種類の生き物がいるか、実は、本当のところは解っていないのですが、と前置きしながらも、それは、”環境”のせいですよ!と答えました。世界には、色々な環境の差がある、それが、今の生き物の種類を作り出した、つまり、”適者適存”という考えです。様々の環境に適応するために、それぞれの生き物の形態が変化した、ということです。しかし、果たしてそうなのでしょうか?何気なく聞いていれば聞き流すこともできます。なぜなら、この理論、つまり、”進化論”は、私達が小さい時から、繰り返し、繰り返し聞かされてきたことだからです。学校、テレビ、ラジオ、子どもの読み物、と。何年か前に、スマップが、「世界でたった一つの花」という歌を歌い、多くの人が、その歌詞に励まされたのです。”世界に一つだけの花、一人一人違う種を持つ”、という歌詞は、この進化論とは、全く正反対の内容です。もし、今の人間の姿が”環境”のせいならば、つまり、たまたま、このような環境にいるので、こんな姿になった、ということと、”一人一人違う種を持つ”からこそ、このような姿になった、とは大きな差があるからです。世界でたった一つの花、それは、本当にユニークで、かつ貴重な花々は、環境等に影響された、言わば”偶然の産物”ではないのです。それは、この歌詞の言外に感じるもの、それは、これらの一つ一つの花、すなわち、私達一人一人は、この世界の創造者なる、神様によって、私達を、この世界でたったひとつの尊い存在として造られた、というメッセージです。どうしてこの世界には、これほど多くの種類の生物がいるのか?それは、一重に神様のデザインの”多様性”によっている、と考えます。神様は、お一人お一人を、丹精込めて造られた。だからこそ、私達は世界でたった”ひとつ”、の存在なのです。ただこの世界で生き延びる、処世術として、このような姿に変化したものではなく、すべての生き物は、神様のハンドメイド、それも意匠のこもった素晴らしい”作品”です。神様が持つ多様性、それがこの世界の生き物の多様性として表れている、と考える方がより合点が行くような気がしますが。
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