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種を蒔く人by ミレー [キリスト教文化]

種を蒔く人.jpg今でも時々ミレーの絵を見かけますね。「晩鐘」「落穂拾い」等が有名ですが、この「種を蒔く人」の絵も有名で、あのゴッホの、この絵を模写しました。二人とも聖書的な題材が多いなどの共通点があります。この絵は、現在山梨の美術館に所蔵されています。この「種を蒔く人」の絵は、実はただの牧歌的な絵ではないと言われています。この絵は、聖書の”種蒔きのたとえ”(マタイの福音書13章)と関係があることが指摘されています。聖書において、「種」とは何か?それは「神様の御言葉」です。では、その聖書の箇所から”「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道端に落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が昇ると、焼けて、根がないために枯れた。また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは60倍、あるものは30倍の実を結んだ。耳のある者は聞きなさい。」”(マタイの福音書意13章3~9節)この後、この例の説明として、種は、神の御言葉であることが明かされます。私どもの教会の名を、「ニュー・ハーベスト(新しい収穫)」と付けた理由もここにあります。神の御言葉が、この地、つまり、人々の心の中に、蒔かれると、いずれ芽を出す、そして、永遠の命への実を実らせ、その実を神様が刈り取り、天の御国へと入れてくださるのです。キリスト教徒たちが、何故、聖書を大事にするか、それは神様の御言葉が記されており、かつ、その御言葉が永遠の命を与えてくれるもの、と知っているからなのです。ミレーの絵は、夕暮れのような暗い背景の中に描かれています。それは、夕闇のような暗い世相の中に、永遠の命へと至る実を実らせる種=”神の御言葉”を、信仰によって蒔いている、と表現したかったのではないか、と考えます。”御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても、悪くとも、しっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。”(第二テモテ4:2 新約聖書)つまり、周りの状況如何に関わらず、神様の御言葉を伝えよ、との意です。そして、この農夫には、いかなる困難にも立ち向かう、不屈の精神、時が良くても、悪くても、その信仰によって、種を蒔き続ける、それは、ミレー自身の心情の表れなのかも知れませんが、そのような力強さと、逞しさとを感じます。このような視点で、改めて見るなら、あの絵があたかも立体映像のように見えて来ませんか?
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